飛行機に乗っている時間がとても好きだったりする。
絶対に、窓側がいい。
子供みたいに身を乗り出して、窓から外を覗き込んでみたり。
思いにふけってみたり。
常に何かしら読むものを持っている私は一応それを開きつつも、
どうしてもすぐ空を見てしまう。
だって、ちょっと目を離したスキに空は、すぐに変わってしまうのだ。
その度に、たとえば美術館で有名な古い絵画を見たときみたいに
きゅうっと一瞬、胸がつまったようになる。
今回もいつものように、少しずつ本を読み進めながら空にうっとりしていた。
すぐ近くにある空は、ぼんやりと空間と雲との2つに分かれていた。
どこまでが空でどこまでが雲なのか分からない。
そもそも雲とはなんなのか。
この、要するに状態の変わった水は触ろうとも触れないのだ。
なのに、こうやって空にコントラストをつくっている。
ちょっと離れるとカタチあるものなのに、
ほんとうはカタチのないもの。
きっと、ほとんどが水でできている私たち人間の身体も一緒なんだろうな。
空間の中に光を受けて、
離れたところからその人の歴史とかいろいろをきゅっと凝縮したものが
人間のカタチとして見えているのかもしれない。
だけど、ほんとうはカタチなんてなくって、
常に空間に流されて変化していくものなんだ。
そんなことを考えてみたりしながら
何となく、覚えておこうと思った。
ちょうど i-Podから流れるJ.S. Bachの「Jesu, Joy of Man's desiring」を聞いていた私には
太陽からとても近い所にある雲の群衆が
まるで、バロック絵画の天使が現れる雲のようにまぶしく見えました。
ちょっとの間、久留米に戻ってます。